伝習会 第43回
伝習会
〈 第四十三回 〉
【行蔵は我に在り】……勝海舟
(訳…【行蔵】は出処進退のこと。所謂「出」は官職に付く事であり、「処」は官に仕えないで民間に居ること。司馬遼太郎は「出と進」は他人が決めてくれるもので、それに対して「処と退」は自分自身で決めるものであるといっています。従って、その人間の人生観、価値観、世界観などを包含した人格の全てが「処と退」に現れると)
~ 明治34年の正月、福沢諭吉の著書の1つ「痩我慢之説」が時事新報に掲載された。その中に『かって、徳川家の旧幕臣であった勝海舟と榎本武揚(えのもとたけあき)は、その恩顧も忘れ薩長に仕えるなんて、なんとも【痩我慢】を知らぬ人物である。武士道にももとる、けしからん』と言って批判し、時事新報に発表する前に二人に意見を求めたところ、海舟が次のように回答しました。【行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず、我に関せずと存じ 候】と。出処進退は自分が決めるもの、けなされたり、誉められたりするのは他人の自由です、私は全く関心がありません。批判したければどうぞご勝手にと。この後に【各人への御示し御座候とも毛頭異存なく候。御差越の御草稿は拝受致し度く御許し下さるべく候うなり】と回答をしたそうです。さて、皆さん、どう思われますか。勝と榎本はかって旧幕臣の身で、良心の呵責に耐えながらも、新しい日本国の建国に貢献されたのではないかと思います。確かに【痩我慢は立国の大本】ではあります。しかしいくら勝海舟と福沢諭吉が犬猿の中とは言え、明治も34年にも経っていて、このような発表は如何なものかなあ、と思います。が…(なんと畏れ多いことを、福沢殿御免)
【出処進退】は難しいものです。老子と論語、史記、菜根譚に次のような言葉があります。
【功遂げ身退くは、天の道なり】(ある程度人生の一通りの仕事が終わったら、 その位置から退くのが、天の道に従うことだ)老子
【之を用うるときは則ち行い、之を舎つるときは則ち蔵す】(自分を必要として用いてくれるなら仕え、必要なく捨てられた時は、引き下がるだけだ。【行蔵】はここから出た言葉です。)…論語述而第七
【四時の序、功をなすものは去る】(春夏秋冬はそれぞれ役目を果たせば交替してい る。春は夏に譲り、夏は秋に,秋は冬に…)史記
【事を謝するは、まさに正盛の時に謝すべし】(全盛を極めている時こそ引退の潮どきだ)菜根譚
いずれにせよ、地位を上げてくれるのは他人、退く時は自ら決せよと、心すべきことの戒めでしょうか。~