伝習会 第55回
伝習会
〈 第五十五回 〉
【捲土重来】…杜牧の『烏江亭に題す』
(訳…砂塵を巻き上げる勢いで、再び勢力を盛り返す。転じて、一度敗れた者が、再び勢力を盛り返して挑戦する。捲土重来を期する。などと使う)
~ この出典は、項羽(B.C202年頃)の死後、約1,000年もたった後、烏江亭に佇んで、杜牧が項羽の死を悼んで詠んだものです。それは……
{【勝敗は兵家も事期せず(戦の勝敗は兵法家でも予測は出来ない)】
【羞じを包み恥じを忍ぶは是れ男児(羞じを包み、恥じを忍んでこそ男ではないか)】
【江東の子弟 才俊多し(江東・項羽の出身地には、優れた人材が多い)】
【捲土重来 未だ知る可からず(巻き返しを図れば成功していたかもしれないなあ)】}
項羽はB.C202年『垓下の戦い』で劉邦に撃破され、烏江亭へ敗走した。
その時、そこで待っていた亭長が、「生まれ故郷の江東へ行き反撃の機を伺いましょう」と言った時、項羽は『天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。(天がわしを亡ぼすのに、どうして江を渡れようか)且つ我、江東の子弟八千人と江東を渡りて、西に進みしに、今一人の還るものなし。(昔、江東の若者八千を率いて、江を渡り西進して戦ったが、今誰一人帰る者がいない)たとえ江東の父兄憐れみて、我れを王たらしむとも、我れ何の面目ありてか、これにまみえん。(例え、江東の者達が、再びわしを王にすると言っても、なんの面目があって、彼らに会うことが出来ようか)彼言わずとも、我れ独り心に愧じざらんや』
(彼等が何も言わなくとも、私は独り自分の心に愧じないでおられようか)と言って、自刎しました。第五回で、項羽が【垓下の戦い】で敗れた時、娼妃の虞美人は自決しました。その時、飛び散った血が花になって、【虞美人草】(ひなげし)になったと言われています。☆…明治38年、日露戦争終結時の乃木希典(のぎまれすけ)将軍の七言絶句に、
【王師百万強虜を征す 野戦攻城屍山を作す 愧ず我何の顔あってか父老に看えん凱歌 今日幾人か還る】(我が百万の日本軍は、手強きロシア軍を制圧した。激戦であった。旅順を攻め落としたものの屍の山を築いた。ああ、愧ずかしや、どうして兵士の老いたご両親に顔を合わせられようか。凱歌に迎えられるが、生き返った者は極くわずか。ただただ面目ないとお詫びするばかりだ)とあります。明治の軍人が備えた漢籍の深さに、あらためて敬意を抱かざるを得ません。~