伝習会 第68回
伝習会
〈 第六十八回 〉
【三人行けば必ず我が師有り】……論語(述而第七)
(訳…今、三人で道を歩いているうちの一人は自分である。他の二人の行動や言動の中に自分の手本となり、役に立つ、我が師とすべきものが必ずある。)
~ この後に……
【其の善き者を択んで之に従う。其の善からざる者にして之を改む】と、
二人の言動の中から、良い点は自分も見習い、真似をすれば良いし、悪い
行動を見て、自分にも同じような欠点があれば改め、真似をしなければ良
い、と言っております。人の振り見て吾ふりを直すことです。
人間は「十人十色」です。
立派な人もいれば、そうでない人もおります。あのような人になりたい、
あんな人にはならないようにしよう、とすべての人の行動を観察して、
自らを高める教訓にすべきではないでしょうか。まあ、あまり肩肘張らな
くとも、歳と共に自ずと「類は友を呼ぶ」行動になっているようですね。
孔子も、白路第十三に、【君子は和して同ぜず。小人は同して和せず】
(君子は、酒を飲んだり、ゴルフをしたりと仲良くするが、だが自分の考え、主体性
はしっかり持っていて、決して付和雷同はしない。ベタベタしないということでし
ょう。しかし、小人はこの逆である)
また、同じく 論語・里仁第四に、【賢を見ては斉しからんことを思え。不賢
を見ては、内に自ら省みる也】、優れた人物に会ったら、自分もそれと
同じようになりたいと思え。つまらない人間に会ったら、自分も同じ条件
を持たないか、内に向かって自ら反省せよ、といっておりますが、孔子にとっては「賢も不賢も、皆、自分の先生」なのです。
【悪貨が良貨を駆逐する】といいますが、悪貨に染まらないように、また、
性悪な人から怨まれないように、このつまらないことから怨まれる事ほど割りに合わない事はありません。
【敬して遠ざかる】(尊敬を捧げながらも、近づかないようにすること)(論語)こ
とも大切ではないかと思います。
【我以外皆我師】、吉川英治の著書「宮本武蔵」で武蔵の言葉として紹介している~