伝習会 第12回(改訂版)
伝習会
〈 第 十 二 回 〉 (改訂版)
【人生の大病は只これ一の傲の字なり】…伝習録(王陽明)
(訳…人生における最大の病根は【傲】の一字である。この【傲慢】の病にだけは罹ってはならないという戒めの言葉です)
~ この後に、【1.子となって傲なれば必ず不幸 2.臣となって傲なれば必ず不忠 3.父となって傲なれば必ず不慈 4.友となって傲なれば必ず不信】と続き、つまり【傲】には善いところはないと言っています。
では【傲】にならない為にはどうしたら良いのでしょう。
そこで王陽明は【聖人の許多の好処も、またただこれ無我のみ。無我なれば自ずから能く謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁なり】
(聖人には素晴らしい点が沢山あるが、つきつめれば無我に帰着する。無我であれば自ずから謙虚になることができる。謙虚はあらゆる善の基であり、傲はもろもろの悪の始まりである)と。ようは【無我】になれと言っています。
つまり【傲】は何一つ良い処はなく、むしろ諸悪の根源であると。またこ
の【傲】の病に罹ると人から嫌われ、また不信や反発を買い、処世上のマ
イナスとなり、自らの進歩向上にも大きなマイナスだと強調しています。
恥ずかしながら、かって私はこの罹ってはならない大病に罹り、大変不
信をかった苦い経験があります。
自分では、謙虚な姿勢で頭を低くしていたと思っていたのですが、思ってい
たのは自分ばかり、他人から見ればそれは今流で言う〈イナバウア―〉でし
た。今、思うに汗顔の至りです。
老子もこの【傲】の病に罹らない方法として次のように言っています。
【その光を和らげ、その塵に同じうす】、いわゆる、能力を包み隠して世俗
と同調するという意味ですが、厳しい現実を生き残る為の賢明な処世法だと
主張しています。(ここが【和光同塵】の出典です)
菜根譚にも次のような同義語があります。
【人主の患いは傲の一字なり】と、ともに傲慢の大病に罹ってはならない
と忠告しています。
【傲】の病は人生最大の障害だと肝に命じて歩みたいものです。~