伝習会 第71回
伝習会
〈 第七十一回 〉
【子曰、学而時習之、不亦説乎】(白文)…論語(学而第一)
【子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからず乎】
~書き下し文又は読み下し文~
(訳…教えられたことを常に、何度も何度も繰り返しておさらいをする。其の度に、理解が深まり、自分のものとして体得される。それこそ人生の悦びではないか)
~ これは、『論語』の最初の篇学而第一第一章の言葉です。この後に…
【朋有り遠方より来る、亦た楽しからず釆】(自分(孔子)と一緒に机を並べて志を同じくして勉強した朋(学友)が遠方より私を訪ねて来てくれた。なんと楽しい事ではないか)
【人知らずして慍らず、亦た君子ならず釆】(人生には、常に自分の勉強が、人から認められるとは限らない。人から認められない事があっても、腹を立てない、それでこそ、紳士ではないか。)
孔子が、この言葉を論語の最初に持ってきたことは、如何に学ぶこと、習うがことが大切か、を強調したかったのではないでしょうか。
さらに孔子は、…
【吾れ嘗って終日食らわず、終夜寝ねず、以って思う。益無し。学ぶに
しかざる也】(論語衛霊公第十五)と。私は若い頃、一日中何も食べず、一晩中一睡もせず、ああしたらどうか、こうしたらどうか、と思い考えたが、大して得るところが無かった。やはり、昔の聖賢の書を学ぶことには及ばないなあ、と。
そのようにして【学べば則ち固ならず】(論語学而第一)、学問をすれば頑固にもならない、と。学ぶことの大切さを言っています。しかし、孔子は、学ぶことが如何に大切か、と言っても学ぶことばかりではなく、『学ぶ』ことと同時に『思い考える』ことの両方が大切だと言っています。
【学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆し】(論語為政第二)と。(第四十六回参照)所謂、学ぶだけで考えなければ、深く理解することは出来ない。また、考えるだけで学ばなければ、それは 空想に過ぎず、しかも独断に陥り危ういことだ、とあります。~