伝習会 第83回
伝習会
〈 第八十三回 〉
【少年易老学難成】(読み…少年老い易く学成り難し)
【一寸光陰不可軽】(読み…一寸の光陰軽んずべからず)
【未覚池塘春草夢】(読み…未だ覚めず池塘春草の夢)
【階前梧葉已秋声】(読み…階前の梧葉已に秋声) 朱熹「偶成」
(訳…若い時はアットいう間に年をとってしまうが、学問を身につけるのは、遅々として
進まないものだ。だから若い時から勉学に励まなければならない。
例え僅かな時間でも、無駄に過ごしてはならない。
池のほとりで、春の暖かい陽だまりに、うつらうつらとして少年時代の楽しかった
頃の夢を見ていたのが、まだ覚めきらないうちに。
もう、庭先のアオギリの葉が落ちて、すでに秋の訪れを告げている)
~ 今、私はこの言葉をしみじみ噛みしめています。かって、【厚(紅)顔の媚(美)少年】も、はや66歳の高齢となりました。信濃川の流れと桜の花は年年歳歳相似たりでありますが、人は年年歳歳不同です。
孔子は、『川上の嘆』で、空しく老いゆく我が身を嘆いています。
【子、川のほとりに在りて曰く、逝く者は斯くの如き夫、昼夜を舎てず】
(訳…過ぎ去る者は、全てこの川の水の如くであろうか。昼も夜も、一刻の止むときもなく、
過ぎさる。人間の生命も、歴史も、この川の水のように、過ぎ去り、移ろって行く)
また、「 陶淵明」も人生を大切に生きよ、と次の詩にうたっています。
【盛年重ねて来たらず】(意気盛んな若い時代は二度と来ない)
【一日再び晨なり難し】(一日に朝は二度と来ない)
【時に及んで当に勉励すべし】(だから、楽しむべき時は楽しみ、また、大いに勉学に励め)
【歳月人を待たず】(時の流れは人を待ってくれないよ)
敦盛の“人間50年、下天のうちに比べれば”ではありませんが、まさに、人生【光陰矢の如し】です。人生を楽しく、しかも有意義に生きたいものです。~