伝習会 第104回
伝習会
〈 第百四回 〉
【君子は豹変す】……易経「革命の機熟す」
(訳…君子(高い徳を備えた立派な人)は、豹の毛が秋になって抜け変わり、一転し
て美しく、あざやかな模様に変わるように、君子も美しく、正しい方向に行く
ものだという。転じて、誤りに気付いたら、素早く今までの意見を改めたり、
転換していくべきであり、また、務めでもあるのだという。)
~ これは、「易経」の六十四ある「卦」の【革】の中にある言葉です。
【……大人は虎変す。いまだ占わずして孚あり。(大人は、虎の毛皮が鮮やかな模様に
変わるように、大人も色鮮やかに美しく変わる。占うまでも無く、天下万民の信頼を受ける。)
象に曰く、大人虎変すとは、その文炳たるなり(この爻、〔占って卦が出たら〕大人は
自らを変革し、人々も改めさせ、革命を成功させるべきだ。それは、虎が秋になると毛が抜け変わ
り、紋様がはっきりと美しくなるようなものだ。)君子は豹変す。小人は面を革む。…
……君子豹変すとは、その文蔚たるなり。小人面を革むとは、順もって君に
従うなり(君子は日進月歩、日々に善に変化して行く。これに反して、小人は心にも無く、顔面
だけ上の人の意に従う態度をとる。……君子は時の変わるに応じて、自分の誤りはきっぱり改め、
豹の毛皮が秋に一変し、紋様が移り変わるようになる。小人は、そういう時は表面的に態度を改め、
君子のいう通りに従えば良い。)】
現代ではもっぱら、いままで「反対、反対」と叫んでおきながら、なんらかの事情で
ころりと態度を変えて賛成に回った時などに使われる。無論余りいい意味ではない。
本来は、自分が間違っていたら、素直に、直ちに正す人が立派な人、君子だという
事です。論語に、次のような同じ意味の言葉があります。
【小人の過ちは必ず文る(過ちは誰にでもあるが、ただ小人は犯した過ちを改めることは
考えず、必ず弁解する)】(論語子張第十九)
【君子の過ちは、日月の食の如し(君子といえども人間であるから、過ちはある。しかし、
その過ちは、日食、月食のようなもので、誰にでも見えるし、君子も隠さず改める。)】(上記に同)
【過ちては則ち改むるに憚ること勿れ(人は誰でも過ちを犯さない者はない。問題は過
ちを改めるかどうかである。)】(論語学而第一)
【過ちを改むるに吝(やぶさ)かならず(過ちを改めることに、ためらってはならない)書経~