伝習会 第121回
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伝習会
〈 第百二十一回 〉
【牝鶏の晨するは、惟れ家の索くるなり】…書経
(訳…めん鳥が時を告げるのは、家が落ちぶれる前兆である。【牝鶏の晨】)
~ これは、【酒池肉林】(第三十二回)にも書きましたが、殷の紂王が、
妲己という美女に溺れ、彼女の言うがままの政治をして、国民を塗炭の
苦しみに陥れました。そこで、周の武王が殷の紂王討伐に立ち上がり
「紂の罪は許せぬ。もはや討伐あるのみ」と諸侯に激をとばし、牧野に
集結して、全軍に宣言した時に言った言葉です。
コケコッコ―と鳴いて朝の“とき”を告げるのは雄鶏の役割と決まって
いる。それなのに、雄鶏を差し置いて雌鶏が“とき”を告げるようになっ
たのでは、国や家を滅ぼしてしまうのだと言ったわけです。
今では、こんな事をいおうものなら、“なに言ってんのよ”(どこかの女
傑)と罵声が飛んできそうですが。【牝鶏】が、晨(早朝)に“とき”を遂げることのないように、“世の男性は、もっと、しっかりせ―!!”。と、激をとばされているのではないでしょうか。では、家庭の場合はどうかというと、女房が亭主を尻に敷いている家庭のほうが、はるかに高い確率で円満なんじゃないでしょうか。亭主関白のように見えても、実は女房がそのように仕向けている、というのが実態です。“たたかれているが女房の勝いくさ”といった川柳もある。また、老子に【牝は常に静を以て牡に勝つ】(女はいつも黙りこむことによって男に勝つ)、婦唱夫随?が家庭円満の秘訣か~