伝習会 第149回
伝習会
〈 第百四十九回 〉
【法は三章のみ】……史記(司馬遷)
(訳…【法三章】という。法律の条文は三ヶ条だけにする。)
~ この言葉の背景は、【秦帝国】打倒に凌ぎを削った、【項羽】と【劉邦】
の対決の中にあります。秦の都、咸陽へ一番乗りを果たした【劉邦】が、
布告を発したものです。それは、秦の過酷な法律が民を苦しめていたこと
を、よく知っていた【劉邦】は、民に【法は三章のみ。人を殺せし者は
死、人を傷つけたる者及び盗む者は罪に抵つ。(抵つ、とはその罪状に応じて量刑を
定める事)(その)余は悉く秦法を除去せん(この三章の規定以外は秦の法律は全て破
棄する)】と。人民が大いに喜んだことは勿論のことですが、これを機に、
【劉邦】の天下取りへの道は開かれて行きました。【最善の政治とは】を
【司馬遷】は【史記】の中で次のように言っています。
【1‥世の中が発展し、豊かになってくると、人間は官能の満足を追い求めるように
なり、安楽と権勢とを欲する習性は、もはや抜き難いものになる。こうした民
衆の本性に従って治める者こそ、理想の政治家だと。
2‥利を示して民衆を自分の思う方向に動かそうとする者は、次善の政治家である。
3‥民衆を教え導こうとする者はその次。
4‥法によって統制しようとする者はさらにその下であり。
5‥腕ずくで民衆を支配しようとするに至っては、もはや為政者とは言い難い。】
民衆の心は、水のようなもので、強制的に堰で止めようとすればあふれだす。よって、為政者はそれを【法】で制御しようとしても、それは万能ではないと言っています。
【劉邦】の漢代に入ってから、【法の網】も、舟を飲み込むごとき大魚がくぐり抜けるほど、目が粗くなったが、人民は平和な暮らしを享受したそうです。
【政治の根本は道徳である】と強調しています。
春秋左氏伝では、【国のまさに亡びんとするや、必ず制多し】、亡びつつある国は、常に法律が多くなる、と言っています。【政治の要諦】と思いますが、どうでしょう。
【法】を知らないでは通りませんが、【法】を知らずとも、【人の道】を外れることのないようにする為には、【道徳】の教育以外にないのではないでしょうか。~