伝習会 第151回
伝習会
〈 第百五十一回 〉
【先んずれば人を制す】…史記
(訳…人より先に手を下せば人を押さえ、勝つ事ができる。【先制攻撃】の語源と
なりました。)
~ これも、よく知られている故事ですが、【項羽】と【劉邦】の【楚漢の
戦い】の中から出ているものです。そのいきさつは、秦の圧制に耐え兼
ねて、我も吾もと各地から反乱の火の手が拡大して行きました。
その一人に、秦王朝から江西の太守に任召されていた【殷通】がおりま
した。秦に見切りをつけ、かっては楚の名門の出であった【項梁】(項羽
の叔父)に相談した時に、【殷通】から次のような言葉が発せれました。
【江西、皆反す。此れ亦天の秦を亡ぼす時なり。吾れ聞く、先んずれば
即ち人を制し、後れれば即ち人の制せらるる所と為る。吾れ兵を発し、
公および桓楚を将たらしめんと欲す。】(江西地方(かっての楚の地)で反旗が広
がった。これは、まさに天が秦を亡ぼす時運になったのだ。私は、このように聞いている。人
より先に手を下せば人を押さえる事が出来るが、後れれば、人に押さえられてしまうと。よっ
て、私は先に兵を発して反乱に加わりたい。ついては、あなたと桓楚を将軍にしたい。)とい
う 訳です。これを聞いた【項梁】は、かねてより【始皇帝】にとって変
わろうという野心を持っていたので、これはチャンスとばかりに甥の
【項羽】と謀り、【殷通】の首を切ってしまいました。なんのことはない、
言った本人が逆に【人に先んじられ制せられる所】と為った訳です。
人に先んずるには、それだけの思慮と実力がなければいけないと言う教
訓ではないでしょうか。【先手必勝】。【速い者勝ち】ですかね。~