伝習会 第155回
伝習会
〈 第百五十五回 〉
【管鮑の交わり】…史記
(訳…管仲と鮑叔の交わり。相手をよく理解しあった親しく仲むつまじい交際をいう。)
~ これは、斉の【桓公】を補佐した名宰相【管仲】と、その親友【鮑叔】
との故事にもとづくものです。【管仲】と【鮑叔】は幼友達で、二人は何
をやるにも一緒でした。だだ、【管仲】の家は貧しかったので、【鮑叔】
は、なにくれとなく彼の為に面倒をみてやりました。また【管仲】は大
変な親思いでもありました。【管仲】は、そんな【鮑叔】を【我を生む者
は父母なるも、我を知る者は鮑叔なり】と言って感謝し、真の友と思って
いました。さて、二人は同じ斉の国で、【管仲】は公子【糾】の後見役となり、【鮑叔】は公子【小白】の後見役にそれぞれなりました。其の後、君主【公孫無知】が死去すると、二人の公子が君位を争うことになってしまい、結果は、公子【糾】は殺され、【管仲】は囚われの身と為ってしまったのです。しかし、【鮑叔】は【管仲】を是非臣下に加えるよう【桓 公】に推挙して、とうとう宰相の地位に付かせました。【桓公】は春秋の五覇の一人となりました。【鮑叔】は【管仲】の下で仕えたが、人々は【管仲】の賢才を称揚することもさることながら、【鮑叔】の明、物事の道理を見通す力、人をよく理解した能力が高く評価されたそうです。
【貧交行】…(貧しい時の交わりの詩)杜甫
【手を翻(ひるがえ)せば雲となり覆(くつがえ)せば雨となる】
【粉粉(ふんぷん)たる軽薄(けいはく)何ぞ数うるを須(もち)いん】
【君見(きみみ)ずや管鮑(かんぽう)貧時(ひんじ)の交わり】
【この道(みち)今人(こんじん)棄(す)てて土(つち)の如し】~