伝習会 第164回
伝習会
〈 第百六十四回 〉
【これを望むに木鶏に似たり。その徳全し】…荘子
(訳…訓練を積んだ鶏は、見たところ木彫りの鶏のようにしか見えない。体中に
徳が充満しているのである。転じて、どんな相手にも微動だにしない、無心の
境地に達した【木鶏】こそ、理想のリーダー像なのだという)
~ これは、周の宣王が、紀せい子という闘鶏を育てる名人に、一羽の軍
鶏の訓練を命じた時の故事です。軍鶏を託してから十日経って、王が様子
を尋ねました。宣王【もう、そろそろ使えるのではないか】
紀せい子【いや、まだで御座います。今はやみくもに殺気立って、しきり
と敵を求めています】。その後十日経って王が尋ねると、今度も。
紀せい子【いや、まだで御座います。他の鳥の気配を感じると、たちまち
闘志をみなぎらせます】。また、十日経って王が尋ねると。
紀せい子【いや、まだで御座います。他の鶏の姿を見つけると、グットに
らみつけたりします】更に、十日経って王が尋ねると。
紀せい子【幾し。鶏、鳴くものありと言えども、即に変ずることなし。
これを望むに木鶏に似たり。その徳全し。異鶏敢えて応ずる
ものなく、反り走らん】(まあまあ良いでしょう。他の軍鶏が声を上げても、
いっこうに動じません。まるで木彫りの軍鶏のようで、徳が身に付いた状態です。
他の鶏たちは、その姿を見ただけで、みな尻をまいて退散します)
前人未踏の記録を達成した大横綱・双葉山が六十九連勝し、七十連勝目の昭和十四年一月場所の四日目に、安芸の海に敗れました。黒星を喫したにも拘わらず、いつもと全く変わらない態度で、花道を下がっていったそうです。その夜、安岡正篤氏に、電報で【我、いまだ木鶏たりえず】と打電され、木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった自分を戒め、更なる精進を誓った言葉として世に知られております。~