伝習会 第172回
伝習会
〈 第百七十二回 〉
【小人の過ちは、必ず文る】…論語(子張第十九)
(訳…小人(徳のない人、つまらない人)は、過ちを犯すと必ず言い訳をする)
~ 人間は、誰しも過ちを犯します。その時、直ぐに「あ、間違ったな」と
気づく時と、後で「しまった」と気づく時があります。それと、自分では
気づかなくて、後で人から注意され、その過ちを気づかされる時がありま
す。兎に角、過ちに気づいた時、【大人】は素直に過ちを認め、正すこと
が出来ます。しかし、【小人】は、過ちを犯すと必ず言い訳をする、と。
この、過ちに気づいた時、気づかされた時にどう対応するかが、【大人】と【小人】の違いだと言っております。しかし、これは【言うは易く行うは難し】と言ったところでしょうか。子貢は次のように言っています。
【君子の過ちや、日月の蝕の如し。過つや人皆之を見る。更むるや人皆之を仰ぐ】、(子張第十九)(徳ある君子にも過ちがない訳ではない。
しかし君子は、過ちを犯した場合には、少しも隠し立てすることがない。衆人はみなこれを見て、あたかも、日食・月食を見る時のようにハッキリと認識できる。
しかし君子は、過ちに気づけばまた直ぐに改めるから、あたかも日食・月食が終わって元の光に戻った時のように、衆人は喜びと敬いの気持を以って、その君子の姿を仰ぎ見るのである)
【過ちては則ち改むるに憚ること勿れ】(学而第一・子罕第九)
(過失を犯したら、躊躇なく改めなさい)
【君子固より窮す。小人窮すればここに濫す】(衛霊公第十五)
(君子といえども、固より窮する時がある。小人は困窮すればすぐ過度の行為、
つまり乱暴、自暴自棄に陥るが、君子はそうではない)
【過ちて改めざる之を過ちと謂う】(衛霊公第十五)(人は誰でも過ちを犯すものだ。だが過ちを犯しても本人が過ちと気付かなければ際限なく同じ過ちを繰り返して改めようがない。これが本当の過ちというものだ)~