伝習会 第188回
伝習会
〈 第百八十八回 〉
【水清ければ大魚なし】…後漢書(班超伝)
(訳…清らかな水には大魚はいない。身を隠す場所がないから。転じて、人もあまり
明確で厳し過ぎると、人が懐かず集まらない例え)
~ 日本では【水清ければ魚棲まず】ですが、意味は同じです。
後漢の【班超】は、三十数年間に及び西域を平定し、領域を拡大安定
させた名将でした。【班超】はこうした長い経験の中から、住民の統治の
仕方について、一つの哲学を身に付けていました。その結果から、この名
言が誕生したのです。
【班超】も七十歳になり、【明帝】に辞任を申し入れ認められました。
その後任になった【任尚】という人が、【班超】に就任の挨拶をしに来
ました。「【小人、猥りに君の後を承く。任重く慮浅し。宜しく以って之を
誨ることあるべし】」(この度私のような小人が、やみくもに貴方の後任をお引き
受けしてしまいました。職責の重さに対して、私は思慮の浅い者であります。
どうか、ご教示頂きたいと存じます)
そこで【班超】は、「【……今、君は性厳急なり。水清ければ大魚無し。
察政は下の和を得ず。宜しく蕩佚簡易にして、小過を寛くし、大綱を総ぶ
るべきのみ】」(今、貴方は性格が厳しいと聞いております。しかし【水清ければ大
魚無し】です。厳しい政治では、下の者との和をうることは出来ません。
どうか、何毎も大まかな態度で臨んで、小さな過ち、細かい事には寛大になって、大
本のところを抑えて統べるのが良いと思います)
ところが【任尚】は【班超】の忠言を聞かず、結局統治に失敗しました。
時には、【清濁併せ呑む】度量も必要ではないでしょうか。~