伝習会 第197回 (H31.2.10)
伝習会
〈 第百九十七回 〉
【明なれども察に及ばず】(【自分を知る】)…宋名臣言行録
(訳…【明】とは、目が見えるということ。素晴らしい読みと深い洞察力を持ってい
るが、余り細かいところまでは眼を光らせない)
~ 宋代(1200年頃)の欧陽脩(おうようしゅう)という政治家の政治姿勢
について述べた次のような言葉で、リーダーに求められた条件の一つです。
【公(欧陽脩)の政をなすや、沈静を以って本となし、明なれども察に
及ばず、寛なれども縦に至らず、吏民これに安んず】、欧陽脩の政治に対
する姿勢は、【沈静】(もめごとや騒ぎ)が起らないことを基本とした。また
素晴らしい洞察力を持っていたが、細かいところまで目くじらを立てなか
ったし、寛容ではあったが、締めるところはちゃんと締めていた。それで
部下や国民は安心して仕事に励むことが出来たという。【明】も【寛】も
リーダーの条件といってもいいでしょう。しかし、ややもすると【明】の
持ち主は【察】に傾き、【寛】の持ち主は【縦】に流れて仕舞がちです。
何事も極端になると、かえってマイナスになるので、バランス感覚が大
切だと言っております。同じ宋名臣言行録に【人至って察なれば、則ち徒
なし】、余り細かなところにまで目くじらを立てると、周りに人が集まらな
くなる、と言っています。また、近思録という古典にも【明極まれば、察に
過ぎて疑い多し】、つまり、【明】が過ぎて【察】になると、迷いが深くな
り、決断が鈍ってしまう。老子の中に【人を知るは智なり。自ら知るは明
なり】とあります。【智】も【明】も、どちらも深い洞察力のことですが、
しかし、人を知ることはまだ易しい(智があれば十分)。それよりもはるかに難
しいのは自分を知ることである(明が必要)、と言っています。また、孫子に
は【彼を知り己を 知れば、百戦して殆うからず】といっており、相手を
知り自分を知ったうえで戦えば、万に一つも負ける気づかいはない。老子
も孫子もリーダーにはこの【明】が必要不可欠だと、いっております。
ある評論家が、女房には次の四つのタイプがあると言っています。
1.
かしこかしこ 2.かしこあほう 3.あほうかしこ 4.あほうあほう
皆さん、安心して家庭を任せる事が出来るのは、どのタイプの女房でしょうか。~