伝習会 第5回
伝習会
〈 第 五 回 〉
【 四 面 楚 歌 】……史記
(訳…周囲が、みな敵に囲まれて、孤立無援となり、絶体絶命の窮地の意)
~ これはよく知られている四字熟語ですが、周囲がみな敵で孤立無援の状態を何故、
【四面楚歌】と言うのでしょうか?
これが、世に言う、項羽と劉邦の『楚漢の戦い』から生まれた故事です。この戦い
は、秦の滅亡(B.C206年)後4年にも及ぶ戦いで、いよいよ最後の決着の時が来た時
に、追い詰められた項羽は、【垓下の城】に立てこもりました。
その夜、どこからともなく項羽の故郷・楚の歌が聞こえてきたのです。それも東西南北の
四面から聞こえて来ました。
これ聞いた項羽は「漢は既に楚を降したのか。敵軍の中に、なんと楚(自分の故郷)の
国の人が多いことか」と嘆きました。
四面がみな楚歌の歌になった、というところから【四面楚歌】となりました。
所謂、周囲がみな敵に囲まれ、絶体絶命の窮地というこ
とです。しかし、これは漢の軍師・張良が漢に下った楚の兵に楚の歌を唄わせた
計略だといわれています。
流石、策士張良ですね。【垓下の城】に立て籠もった時、項羽が愛人虞美人に贈った詩
【垓下の歌】です。…項羽はここから、烏江まで敗走。
【力は山を抜き 気は世を蓋う 時に利あらず 騅逝かず 騅の逝かざる
を奈何すべき 虞や虞や 若を奈何せん】 歌うこと数闋、美人之に和す。
項王、泣数行下る。左右皆泣き、能く 仰ぎ見るもの莫し。
(訳…我が力は山をも動かすほど強大で、気迫はこの世の中をおおい尽くしてしまう程なのに。ただ、時勢は我に味方せず愛馬の騅も進もうとしない。騅が進もうとしないのを、最早どうする事も出来ない。虞よ虞美人よ、お前をどうすればよいのだ。歌うこと数回、虞美人も声を合わせて歌った。項王の涙が幾筋か流れ落ちた。近臣たちも皆泣いて、項王を仰ぎ見る者はいなかった。)~