伝習会 第7回
伝習会
〈 第 七 回 〉
【 欹 器 以 満 覆(読み…欹器は満を以て覆える)…菜根譚
(訳…器も一杯になれば必ずこぼれる、満ちて覆らないものはない)
~ 元文は【欹器は満を以って覆り、撲満は空しきを以って全うす】
【故に君子はむしろ無におるも有におらず】
【寧ろ欠におるも有におらず】~
(訳…欹器という器は、空の時は傾き、水を半分入れると真っ直ぐに立ち、水を一杯
に満たすとひっくり返ってしまうと言うもの。撲満は土器製の貯金箱で、中が
空であるからこそ、その形を完全に保っている。満ちて覆らないものはな
い。故に、リーダーは“無”の境地に身を置き、不足を善として完全なる満足を
求めない)
【欹器】は【宥坐の器】とも言われており、ある時孔子が、魯の国の宗廟
を参観した時、この【欹器】に目をとめ、弟子にその中に水を注がせてみ
ました。すると満杯にした途端、たちまち、ひっくり返えりました。
それを見た孔子は「ああ、いずくんぞ満ちて覆らざるものあらんや」と
慨嘆したそうです。【宥座の器】とは、「座右の戒めをなす器である」とい
うものです。君子は自らを戒め、つねに進歩向上を心掛ける為に、この器
を座右に置いたものと思われます。この【宥座の器】は、群馬県館林市役
所に展示されております。【腹八分目は医者いらず】はここが原点か?
長岡藩を支えてきた精神が二つあり、一つは【十分杯】です。酒杯ですが、注ぐ際に一定の量(八分目)を超えてはならない。其れを超えると中に入っていたお酒が全て下に漏れてしまい杯は空っぽになってしまう。足るを知る、の教えです。
もう一つは【常在戦場】です。…【足るを知れば辱められず】…老子(何事も控え目にしていれば、辱しめを受けない)これを【止足の戒め】といっています。~