伝習会 第26回
伝習会
〈 第二十六回 〉
【 呉下の阿蒙】……呉書・呂蒙伝
(訳…いつまで経っても昔のままで進歩しない者のこと)
~ これは、三国志(魏・蜀・呉)の中にある故事です。呉下は呉と言う国のこと、
【阿蒙】の【阿】と言うのは‘ちゃん’と言うくらいのことで、【蒙】は【呂蒙】
と言う人です。そこで、【阿蒙】と言うのは、【呂蒙ちゃん】ということでしょうか。
呉の国に、学問もなく、頭も悪く、馬鹿にされていた【呂蒙ちゃん】と言う人が
いたわけですが、そこで【呉下の阿蒙】と言えば、進歩もなく、学問のない、つま
らない人物のことを言う故事となりました。
ところが、【呂蒙】は喧嘩はめっぽう強く、戦いには大変長けていました。
そこで、呉の君主【孫権】は、【呂蒙】を将軍に抜擢しました。その時【孫権】が、
【呂蒙】に、人の上に立つようになったら、腕っぷしが強いだけの武将であっては
だめだ。勉強して、兵法や教養・徳を身に付る、人格向上の大切さを諭されました。
そこで、【呂蒙】は一念発起して孫子の兵法はもとより、四書(大学、中庸、論語、
孟子)五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋左氏伝)を猛勉強して、知勇を兼ね
備えた立派な武将に成長して変わりました。ある時、昔馴染みの友であった【魯粛】が、久し振りに【呂蒙】に会って話してみると、かって呉の国にいた【呂蒙】とは、全く別人かと思うほどに変わって、立派になった【呂蒙】を見て、これは“過って呉にいた【呂蒙ちゃん】ではないわい”と言って、【呉下の阿蒙に非ず】(今は昔の阿蒙ちゃんではない。大きく成長している、という意味になる)と感心したと言う故事によります。それに対して【呂蒙】は、こう言いました。
【士、別れて三日なれば、即ち、まさに刮目して、相待つべし】
(ひとかどの人物は別れて三日もたったら、それなりの進歩を遂げているはずだ
から、目を見開いて評価しなければならない)と。まあ、変われば変わったもの
ですが、『学ぶに如かざるなり』(学ぶことには及ばない.論語)ですね。~