伝習会 第190回 (H30.12.1)
伝習会
〈 第百九十回 〉
【敬遠】…論語(雍也第六)
(訳…表面では敬う態度で、実際には関わりをもたないようにすること)
~ 孔子の弟子樊遅が師に【知とは何か】と問うた時、孔子が次のように
答えた言葉の中にあります。
【民の義を務め、鬼神を敬して之に遠ざかる。知と謂うべし】(何事も、人
間本来のなすべきこと・道理【義】(正しいこと)を判断基準にして行動すべきであっ
て、神は敬いつつも神頼みなどはしない。自分の判断を捨てる事なく、常に【義】を
大切にして生きていけば、【知】が身につくと言っています。敬遠はここが出典です)
孔子は、神や超越者に対して【敬うが、近づくな】と言っています。
同じ【敬遠】でも、よく野球でいうフォアボールの【敬遠】は、孔子の
言っている意味と違います。打者と勝負をしないで、一塁に歩かせるのは、
故意的に四球を与えるのであって、決して敬う態度ではありません。
時には、人間はこの【神】に頼みたくなる時もありますが、常に【神頼み】
では、自己の存在価値がなくなります。
この【敬して遠ざかる】という言葉は、人間関係に大変重宝な言葉だと
思っています。仲間の中には、付き合いたくない人もおります。
そんな時、相手を傷つけることなく、また怨まれることもなく離れるには、
相手を敬いながら近づかないよう遠ざかれば、お互いに宜しいのではと思
っています。其の時に大切な事は、相手に気付かれず、さり気ない行動
をすることでしょうねー。~