伝習会 第199回 (H31.3.1)
伝習会
〈 第百九十九回 〉
【楽しみがなくて何の人生ぞ】・【人生は朝露の如し】…漢書
(訳…人生は短く、はかない故、だから、一生に一度の人生をせいぜい楽しもうでは
ないか)
~ 【人生は朝露の如し】言うまでも無く、人生は短く、はかないことを嘆
いた言葉です。二十代、三十代のうちは、まだ実感として分からないかも
知れませんが、五十代の坂を越すと、いやでも人生の短さを実感してきま
す。まして、その思いは、年を重ねるごとに益々深くなっていくようです。
『三国志』で有名な、曹操は【短歌行】の中で次のように詠っています。
【酒に対いて当に歌うべし】(酒を飲む時は、思う存分歌をうたうのがよい)
【人生 幾何ぞ】(人生なんてどれほどのものであろうか)
【譬えば朝露の如し】(たとえば、朝におりた露のようにはかないものだ)
【去日は苦だ多し】(過ぎ行く日ばかりがなんと多いことか)
【慨して当に以って慷むべし】(そうした人生を思うと、気持ちの高ぶりを抑えられないし)
【憂思 忘れ難し】(憂いの気持ちは忘れようがない)
【何を以ってか憂いを解かん】(では、どのようにしてその憂いを払うのかと言えば)
【唯 杜康有るのみ】(それにはただ酒があるだけだ。杜康は酒の異称)
曹操は人生の憂いを解くには、酒だ、酒だと言うことであったらしい。
人生の楽しみは酒ばかりではないが、せいぜい楽しんでから、あの世とや
らへ行きたいものですね。
論語にも【楽しみて以って憂いを忘る】とありますが、やはり折角生ま
れて来たこの人生、せいぜい楽しもうといっています。しかし、問題は楽
しみ方です。楽しみに溺れてはならないと戒めてもおります。
【志は満たすべからず。楽しみは極むべからず】(望みは全て叶えられない方
が良い。楽しみの追求も、ほどほどにしたい。礼記)です。また、漢の武帝も【歓
楽極まって哀情多し】といって、楽しみ過ぎると、かえって悲しくなって
来るとも言っています。 楽しみのある人生、意味のある人生、この両面
の楽しみを充分に堪能して第二の人生を送りたいものです。~