伝習会 第200回 (H31.3.10)
伝習会
〈 第二百回 〉
【教うるは学ぶの半ばなり】…書経
(訳…人に教えると言う事は、少なくとも半分は自分が学ぶことである)
~ 「伝習会」は平成十九年十二月にスタートしまして、この三月で約一年
と三ヶ月ほど経過しました。二百回をもちまして、この「伝習会」を終了
ということに致しました。浅学非才な私が皆さんに、【教うる】などと、
大変おこがましくも不遜なことでございました。
私は、この一年数ヶ月の間、本当に勉強させて頂いたと感謝で一杯です。
振り返って見ますと、如何に無知であったかをきずかされ、汗顔の至りで
す。いろいろな漢籍に堪能な諸先生の訳をただ、書き写したと言うだけで
した。
「物を書くというのは、恥じをかくことでもある」というそうですが、私
も皆さんに恐れ多きことを成したのも、また恥じをかくことにほか成りま
せんでした。言い訳がましいことですが、孟子は、【恥ずることなきを之
恥ずれば、恥じなし】(無知を恥じる心があれば、その人は恥ずべきことのない人です)
と言っておりまり、【恥じの人に於けるや大なり】、人間にとって、恥じる
心が占める意義は大きいと言っております。私もこの恥じる心を大切にし
て参りたいと思っております。
この経験は私にとりましては、大変、掛け替えのない、貴重な体験であ
りました。お付き合い頂いた皆さんに心から感謝を申し上げます。~
【居は気を移す】…孟子
(訳…【居】は、高い地位を指している。そういう地位に付くと、地位に相応しい
雰囲気を身に付けていくのだという。よく「ポストが人をつくる」と言われ
ますが、こういうことかも知れません。しかし、今はもう少し広く「住まいや
環境が変われば気分も変わる」と、いう意味にも使われています)
~ 私事で御座いますが、五月末日を目途に表町のマンションに移る事と致
しました。昭和六十年に生まれ故郷の西山町坂田から現在の長岡市長峰町
へ越して来ました。長岡を一望出来る閑静な素晴らしい居住環境でした。
いろいろな出来事がありました。また新しい環境で家族三人心新たにして
スタートして参りたいと思っております。
十三階からの夜景はまた格別なものと思います。どうかお近くにお越し
の節は(殿町から歩いて3分)お寄り下さい。夜景を見ながらの一杯もオ
ツなものではないでしょうか。
皆さんのご多幸を心からお祈りし、ご協力に感謝しつつペンを置きます。
平成二十一年三月三十日 合掌~