伝習会 第40回
伝習会
〈 第四十回 〉
【後生畏る可し】……論語(子罕第九)
(訳…【後生】は、後から生まれてくる若者、後輩のことです。彼らを侮ってはいけな
い。若者は将来大きな力を発揮する可能性を秘めている。)
~ 原文は、【後生畏る可し(後から生まれてくる若者・後輩を侮ってはならない)。
焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや(これからやって来る若者“後生”が、
先に生まれた我々“先生”に劣り、及ばないなどと、どうして分かりますか。
我々“先生“よりはるかに優れた、“後生”が現れる可能性は常にある)。
四十、五十にして聞こゆること無くんば、斯れ、亦畏るるに足らざるのみ
(ただし、四十、五十になっても、世にその人ありと名が聞こえてこないようでは、
それはもう、なにも畏れることはない)】と言っています。
孔子は、自分より四十歳以上も年下の弟子達に四十,五十まで怠けずに勉学しなさいと忠告し、また叱咤激励している言葉です。
私は、現代に於いても四十、五十は人生の折り返し点だと思っています。
すでに社会に出て、二十年も努力すればその道の専門家です。また、そう
でなければ一流の社会人とはいえません。
よって、この折り返し点は、自分の人生の前半と後半との両方を見渡す
ことのできる年齢です。しかも、この四十歳は社会に出て働く人間の成熟
期です。成熟期を過ぎても未成熟であったり、その名が聞こえてこないよ
うなら、余り大した人物ではないし、見込みがないと言われても仕方がな
いでしょう。
孔子は、また【年四十にして悪まる、其れ終わるのみ】(論語陽貨第十七)
(四十になって人に嫌われ、憎まれるような人間は、それでおわいだ、もう見込みは
ない)。といって、これは前のよりもっと厳しく、断定しています。
【後生畏るべし】とは、若者は春秋に富、力もエネルギーもあります。
ですから、私達は自分の努力もさることながら、後輩の成長を温かく見守
り、将来を托せる若者を育てていかなければならない義務もあると思って
います。今日の日本経済の発展は、まさに【後生】の人が、【先生】の実
績を更に向上させるべく努力をした結果だと思います。
盛者必衰は世の習えと申しますが、人間は常に進歩、成長している現実を
みつめ、ゆめゆめ余人に変えがたしなどと“傲の病”に罹ることのないよう、心してゆかなければと思っております。~