伝習会 第50回
伝習会
〈 第五十回 〉
【五十にして天命を知る】
【志学・而立・不惑・知命・耳順・従心】…論語(為政第二)
(訳…五十歳になって、天が私に与えた使命を自覚することが出来た)
~ 私(哲雄)は、五十歳になった時、天命という言葉を自覚したかどうかは、残念ながら定かではありません。ただ無為に過ごして只今、【耳順】も半ばの歳になってしまいました。人間、五十歳までには、いろいろ試行錯誤の中、辛酸をなめ、失敗をし、涙を流し、艱難辛苦の経験をして、人生のなんたるかが、漸く分かりかけて来る年代がちょうど、この五十歳頃ではないでしょうか。五十歳に達したら、今、自分に与えられている仕事は、天の命令だと受け止め、その使命を全うすることだと、孔子は言っているのではないかと思います。孔子は72歳まで生きられたそうですが、自分の生涯を振り返って志をしっかり以って送られたからこその言葉だと思います。原文は次のようになっています。
【吾れ十有五にして学に志す】(十五歳の時に立派な人物聖賢になる為学に志した)
【三十にして立つ】(三十歳で学問の基礎ができ、独り立ちが出来るようになった)
【四十にして惑わず】(四十歳になって、自分の行く方向に確信を得て、迷わなくなった)
【五十にして天命を知る】(五十歳になって、天が私に与えた運命・使命を自覚できた)
【六十にして耳順う】(六十歳になって、人の言う事を素直に受け入れられるようになった)
【七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず】(七十歳になって、 自分の
好きなように自由に振舞っても、人の道を踏みはずすことはなくなった)
なかなか凡人の私には、孔子さんのような人生など送れるはずはありませんが、兎に角、志をしっかり確立して、【学に如かず】(学ぶことにはかなわない)で、学び続けていけば、年とともに孔子さんが達した境地、人生のなんたるかが、少しは分かって来ると言うことでしょうか。
☆ …十五歳を【志学】 ☆…三十歳を【而立】 ☆…四十歳を【不惑】
☆ …五十歳を【知命】 ☆…六十歳を【耳順】 ☆…七十歳を【従心】
それぞれの別称はこれが出典です。~