伝習会 第69回
伝習会
〈 第六十九回 〉
【過ちて改めざる、之を過ちと謂う】…論語(衛霊公第十五)
(訳…人間、誰でも過ちをおかすことはある。しかし、気が付いていながら、改めよ うとしない人がいる。これこそ、本当の『過ち』なのだ)
~ 人間は『間違える動物』だという事を、つくづく感じます。人間は神様でもないし、また、人間として生きている限り、誰でも過ちを犯します。そして過ちを犯したからといって、恥じ入ることもありません。しかし、間違った時、“あっ、間違っているな”と気づいたら、素直に認め、謝ったり、訂正すれば、むしろ、気持ちも晴れ、後味も良く、人間として向上もし、周りからも信頼を得られるように成ると思います。
孔子は、やはり論語学而第一の中で、【過ちては改むるに憚ること勿れ】(人は誰でも、過ちを犯さないものはない。問題は過ちを改めるかどうかである)と。また、
【君子の過ちは、日月の食の如し】論語子張第十九(君子といえども人間であるから、誤ることはある。しかし、その過ちは日食、月食のようなもので、誰にも隠さないから、人は皆これを仰ぎ見る。同時に君子はそれを改めるから、其の時人々は日食、月食の輝きを仰ぐように、君子の徳を仰ぐことになる。)と。
同じく、子張第十九に【小人の過ちは必ず文る】(過ちは誰にでもあるが、ただ小人は犯した過ちを改めることは考えず必ず弁解する)
若し、過失を犯したら、素直に改めなさい、と言っております。なにはともあれ、人間にとって【謙虚】さは、大切な徳目の一つではないでしょうか。
【人を用うるはこれ己のごとくにし、過ちを改むるに吝かならず】 (書経)
(人の意見に対しては、あたかも自分の意見であるかのように喜んで耳を傾け、自分
の過ちを指摘されたら改めることをためらってはならない)~