伝習会 第80回
伝習会
〈 第八十回 〉
【止足の戒め】……老子
(訳…これで充分だと心に満足すること、そして自分の身分や能力をわきまえて、
ここまで来れば充分だと満足すること、を知りなさい。戒めの言葉です)
~ これは、次の言葉にあります。
【名と身と孰れか親しき、身と貨と孰れか多れる、得ると亡うと孰れか病なる】
(名誉や財産と、我が身とでは一体どちらが大切であるか。これは、言うまでもなく、
名誉や財産といっても、我が身あってこその名誉であり財産ではないか、それを得る為に
何よりも大切な寿命を縮めるとは、なんと愚かしいことではないか、と警告しています。)
【是の故に甚だ愛めば必ず大いに費し、多く蔵すれば必ず厚く亡う】
(それ故、財貨を蓄えようとして極端な物惜しみをしていると、必ず生命をすり減らすし、
むやみと貯め込んでいると、必ず大きく失うことになるのだ)
【故に、足るを知れば辱しめられず、止まるを知れば殆うからず、以って
長久なるべし】(満足することを知れば、生き恥をさらす事も無い。止まるべき分を知れば、身を危険にさらすこともない。かくて、いつまでも安泰でいられるのだ)
ここから、【止足の戒め】が出典されました。何事も、俺がオレがとでしゃばらないで、ほどほどの『中庸』が大切だと、いうことでしょう。
老子はまた、次のようにも言っております。
【足ることを知る者は富めり】(満足を知ることの出来る者は富める人である)
【禍いは足ることを知らざるより大なるは莫し】(世に禍は多々ある。しかし
足ることを知らない禍ほど大きなものはない)
『中庸』に、【君子は中庸す。小人は中庸に反す】(君子は中庸の行いをし、
小人は中庸に反する行いをする)
人間にとって、欲は大切ですが、問題は何事も過ぎる事です。
【吾唯足知】京都“龍安寺”の石庭で知られている手水の「知足の蹲踞」です~