伝習会 第93回
伝習会
〈 第九十三回 〉
【古を以って鏡と為さば、興替を見る可し】…十八史略
(訳…歴史や昔の出来事を鏡とすれば、国家がどうして興隆し滅びたかを知る事が出来る)
~ 唐の貞観十七年(西暦643年)、太宗皇帝の諫言太夫であった「魏徴」
が没した時、皇帝が次のように、その死を悲しんで言った言葉です。
【銅を以って鏡と為さば、衣冠を正すべし。(銅を磨いて鏡とすれば、自分の衣冠の乱れを直すことが出来る)古を以って鏡と為さば、興替を見るべし。(古を鏡とすれば、国家興亡の原因を知る事ができる)人を以って鏡となさば、得失を知るべし。(人を鏡とすれば、己の行為が正しいか正しくないかを知る事が出来る)徴、没して、朕一鏡を失う。】(今、魏徴に死なれて、余は一つの鏡を失った)
「唐王朝第二代皇帝の太宗」は、兄.太子建成と弟.斉王元吉の三兄弟で
した。兄と弟は出来があまり良くなかったが、太宗は大変優れていまし
た。二人は太宗を妬み、殺害を計画したのですが、太宗は逆に兄と弟を
殺して、皇帝の位に就きました。これを『玄武門の変』といいます。
太宗は『貞観の治』と呼ばれる大平の世を現出した名君でありました。
とくに、杜如晦(王佐の才.帝王を補佐する大器)、房玄齢、魏徴、王珪など
部下の諫言によく耳をかたむけた皇帝として称えられています。
【良薬は口に苦くして病に利あり、忠言は耳に逆らいて行いに利あり】
といいますが、古来、太宗ほど、口に苦い良薬を歓迎した君主はいな
かったと言われています。(第四十二回及び第九十一回を参照下さい)~