伝習会 第125回
伝習会
〈 第百二十五回 〉
【人間万事塞翁が馬】…淮南子
(訳…【人間】は普通「にんげん」と読みますが、中国語の【人間】という言葉には「にんげん」の意味はなく「世の中」とか「世間」を意味します。
日本でも漢文では慣習的に「じんかん」と読まれます。この世の中のことは、すべて塞翁が馬のようなものである。いわゆる、人間社会の【幸】と【不幸】は予測し難く、先行きどうなるか分からない、目先のことに一喜一憂しないことです)
~ これは、次のような話から出典されたものです。
昔、塞翁(国境の塞の近くに住んでいた男)が飼っていた馬が、国境を越えて異民
族の地に逃げていきました。近所の人が、「これはお気の毒でしたね」と慰めたが、男は
「いや、これがいつまた幸せを呼び込んで来るか分からない」といって、少しも悲し
い顔をしませんでした。その後、男の馬は何頭もの駿馬を連れて戻ってきました。
近所の人は「これは良かったですね。」といったら、男は「いや、いや、これがいつ
また不幸の種になるか分からない」といって、少しも嬉しそうな顔をしませんでした。
ある日、息子が馬から落ちて大怪我をするという不幸が起きて、近所の人がお悔やみ
を言ったら、男は「いや、またいつ幸せの元になるか分からない」と言ったのです。
はたして、今度は異民族が攻めて来た時、息子は障害者故に徴兵を免れ、村の若い者がほとんど戦死した中で、この家だけは生き延びる事が出来た、という話から故事となったものです。この故事から、【幸】が【不幸】に、【不幸】が【幸】にいつ転じるかわからないとすれば、【幸】だからといって浮かれ喜び、【不幸】だからといって嘆き悲しむ投げやり的な生き方ではなく、常に平常心を持って、一喜一憂せず、沈着冷静を心掛けよ、という戒めの教訓ではないでしょうか。
企業経営でも、【順境】、【逆境】は付きもの、リーダーへの教訓として心したいものです。
【禍を転じて福と為す】(思い掛けない不幸を上手く処理して、返って幸福な結果を得る)戦国策
【禍福は糾える縄の如し】(禍と福は表裏一体、縄をよるのに例えたもの)史記
【門前市を為す】(その家に出入りする人の多いこと)漢書
【門前雀羅を張る】(訪れるひとが少なく、門前に雀を捕らえる羅を張るばかりに寂しい)漢書
【禍は福の倚る所 福は禍の伏す所 孰れか其の極を知らん】(不幸と思えば幸が寄り添っており、幸運と思えば不運が忍び寄っている、この循環の終りを知っている者はいない)老子~