伝習会 第126回
伝習会
〈 第百二十六回 〉
【病、膏肓に入る】……左伝(春秋左氏伝のこと)
(訳…【膏】は心臓の下の奥深い部分、【肓】は胸の奥の隠れたところ、横隔膜。合わ
せて、人体の奥深い部分で、昔の医者が、鍼(はり)も薬も届かないと考えたところ。そんなところが病気になれば、不治の病とされ、治癒の見込みのたたない病。転じて、飲む、打つ、買う、の道楽が、修正不能なほど手の付けられない状態になる例えにも用いる。)
~ 話は春秋時代、大国・晋の「恵公」にまつわるものです。
「恵公」は、ある夜、大変不吉な夢を見て恐ろしくなり、早速、夢占い師に占っても
らったら、『公は、今年とれる新麦を召し上がる時が来るまでに、命を落とすに違いが
ありません』とのご託宣でした。「恵公」はショックのあまり、重い病の床に就いてし
まいました。晋の隣の大国秦に「高緩」という名医がいました。臣下が色々手を尽くした結果、なんとか診察してくれることになり、「高緩」が「恵公」を診察して、こう診断されました。【疾、為すべからず。肓の上、膏の下にあり、之を攻むるは不可なり。薬も至 らず、為すべからず】(体の奥の肓と膏の間を病んでいるのだから、手の下しようもなく、薬も届かず効かない、お手上げだ)と。
【病、膏肓に入る】の出典です。ところが、「恵公」は「高緩」が帰ると、不思議にも快方に向かい、新麦を食べられる季節になったのです。「恵公」は激怒し、夢占い師を断罪に処しました。さて、新麦を口にしようとした途端、にわかに腹痛を起こし、慌てて厠へ駆け込みました。余りの痛さに目まいがして足を踏み外し、厠の穴に落ちて糞にまみれ、命を落としてしまいました。まさに、占いが的中、【糞死】でした。このような死に方だけは、したくないものですね。~