伝習会 第143回
伝習会
〈 第百四十三回 〉
【骸骨を請う】……史記
(訳…昔は、主君に仕えることは一身を捧げることなので、老臣や役人が辞職する時は、せめて骨だけは返して下さい、と願い出た故事から辞職を願い出る、官職を辞することの意味です。日本の戦前では、首相の辞任の時に使われた言葉だそうです。
本来は【骸骨を賜わらんと願う】です)
~ この言葉の出典は、【項羽】と【劉邦】の戦いの最中に、【項羽】の亜父(父の次に
尊敬する人)【范増】が、【項羽】に辞職願いを出した時の言葉です。
そのいきさつは、【項羽】が【劉邦】軍を完全に包囲し、【劉邦】が絶対絶命に陥っ
た時、彼の参謀の【陳平】が窮地を救い出したのです。【陳平】は、かって【項羽】の
臣であったが、後に、【劉邦】の下に走った大変謀略にたけた人物でした。その採っ
た策とは、【陳平】は、【項羽】は気が短く、早合点する性格を知っていたので、【項羽】
と亜父の【范増】を、離反させる策をとりました。それからというもの、【項羽】は
【范増】を信頼せず、避けるようになりました。それに気づいた【范増】が、【項羽】
に次のように言ったのです。【天下の事は、大いに定まれり。君王自ら之を為せ。願
わくば骸骨を賜いて卒伍に帰らん。】(天下の大勢は定まったも同然、今後は王自身で
やりなさい。私は骸骨を賜って、元の一兵卒に戻りましょう。)【項羽】はこうして唯
一の智将を失ってしまいました。以後【項羽】に直言する臣はいなくなり、ついに、
【劉邦】の漢に敗れる結果となりました。それにしても、骸骨を頂きたい、とは
凄い表現ですね。【疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ】(疑わしい人は最初
から 登用するな。しかし、一旦登用したら、信頼して仕事を任せよ)で、任せたら信
頼して、温かく見守るよう、教訓として行きたいものですね。~