伝習会 第182回
伝習会
〈 第百八十二回 〉
【葦編三絶】<葦編三たび絶つ>…史記
(訳…【葦編】は文字を書いた木札(木簡という)や竹の札(竹簡という)を皮の紐・なめし革で綴った古代中国の書物。【三絶】は三度(亦は何度も)断ち切れる意。
転じて、何度も繰り返し、熱心に本をよむこと。また学問に熱心な事の例え)
~ これは史記の【孔子世家】にある【孔子】のことを言っています。
【孔子、晩にして易を学ぶ…………易を読みて「葦編三たび絶ち」、曰く
「我に数年を仮し、是の若くせば、我易に於いて則ち彬彬たらん」】、
孔子は晩年、易を読むことを好み、【葦編三絶】するほどであった。
そして、「もし自分に後何年かの命があって、その間、【葦編三絶】するほ
どに読めば、自分は易について大いに明るく、誤りがなくなるであろう」
というのです。易は【易経】のことです。【第百七十三回】の【読書百遍、
義自ずから見る】の意味の解釈は【素読】(声を出して読むこと)を重視しておりますが、【孔子】も葦編が三度(また三回に限ったことではなく、何度でもと言う意味にも使うこともある)も擦り切れるほど【易経】を読み、研究したと言うことです。無論、ただ読書さえすればよいという訳ではありません。孟子に【尽く書を信ずれば、則ち書無きに如かず】とあります。だが、いずれにせよ読書、勉学によって己を磨き形成することをすすめています。~