伝習会 第4回
伝習会
〈 第 四 回 〉
【 背 水 の 陣 】………史記
(訳…追い詰められて、もう後には引けないこと。また自分を厳しい立場に置いて、
力を出そうということ。絶対絶命の状況とか立場)
~ 孫子の兵法には、「陣を張る時、山や丘を背にし、川や沼沢は前とす」
(対戦の時は、山や丘を背にして、川や沼地を前にして布陣するのが兵法の原則)
と記されています。漢の【韓信】は全く反対の戦法をとり、大勝したので
す。その戦いとは……秦(B.C221年~B.C206年)の【始皇帝】亡き後、
漢の【劉邦】(前漢・初代皇帝、在位B.C202年~B.C195年)と楚の【項羽】
の両雄が、激しい戦いを繰り広げていました。方や漢の総大将・【韓信】は、
【劉邦】とは別部隊を率いて、一万二千の兵で二十万の趙軍と川を背にし
て対陣したのです。これを見た趙軍は、戦い方を知らない漢軍を大いに笑
いました。しかし、【韓信】は兵士に 「さあ、今日は趙軍に勝って、盛
大に祝おう」と一人悦に入っていましたが、誰も本気にしませんでした。そ
れはそうでしょう、孫子の兵法と逆の戦法でしかも二十万対一万二千では、
到底、勝ち目があるとは思われなかった訳です。
ところが、戦いが始まると、兵士は後が川でもう後がない訳ですから、死
にもの狂いで戦って、とうとう勝ってしまったのです。
【韓信】は孫子の兵法を知っていたのです。
『軍を死地に陥れることによって、逆に生還する事ができ、亡地に置く
事によって、逆に生き抜く事ができる』と。~