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伝習会 第33回

 伝習会

〈 第三十三回 〉

【 臥薪嘗胆(がしんしょうたん) 】……史記(しき) ( (まき) ()(きも)() める

  (訳…薪の上に寝て、苦い肝をなめ、長い年月苦しみを自分に課して仇を討つことを忘れずに努力すること。復讐。転じて将来の成功を期して艱難辛苦(かんなんしんく)に耐えること)

~ 中国の春秋時代(紀元前500年頃)、()の国の王・【闔廬(こうりょ)】と(えつ)の国の

 王・【勾践(こうせん)】とが戦い、(『呉越(ごえつ)戦争』という)呉王(ごおう)・【闔廬(こうりょ)】が死にました。

 その子供・夫差(ふさ)】が王となり、父の(あだ)を忘れない為に、朝晩、(まき)の上で

 寝起きし、必ず、寝室の出入りには、『夫差(ふさ)よ、越人(えつひと)(なんじ)の父を殺した

 ことを忘れたか』と、臣下に言わせて我が身を苦しめました。

 そして、ついに会稽山(かいけいざん)の戦いで、呉王(ごおう)夫差(ふさ)越王(えつおう)勾践(こうせん)を降伏さ

  せました。しかし、捕虜となった勾践(こうせん)は臣下・范蠡(はんれい)の策略で一命

 を取り止め、釈放されました。【勾践】は捕虜の身から許されると、今度

 は勾践(こうせん)が、(にが)(きも)を室内に掛けて、それを()めては敗戦の怨み(これ

  を『会稽(かいけい)(はじ)(すす)』という)を思い出し、ついに呉王(ごおう)夫差(ふさ)を破って、その無念を晴らしました。ここから、臥薪(がしん)(まき)の上に()す。嘗胆(しょうたん)(きも)()めるが合わさって臥薪嘗胆(がしんしょうたん)となりました。

この、呉と越とは隣同士でありながら大変仲が悪く、度々戦争をしました。そこから、呉越同舟(ごえつどうしゅう)(仲の悪い呉と越が同じ舟に乗る。また、敵味方が同じ場所に居合わせながら、共通の困難や利害に対して協力し合うことの例え)という言葉も生まれました。

怨まれたり、怨んだりはどちらも不幸です。相手と付き合いたくない

 時は、(けい)して(とお)ざかる】(論語)、相手を敬いながら遠ざかり、近づかないで、付き合わないことが身を守る(怨まれない)秘訣かも知れませんね。~

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