伝習会 第37回
伝習会
〈 第三十七回 〉
【日本の元号の出典について】
~【元号】とは、例えば、ペンネームを雅号と言ったり、他に称号、記号と言う言葉も
あるように、「年」に付ける名前をいいます。明治以前は、瑞祥、天災、戦乱のあ
った時、縁起の良さそうな元号に改元したりして来ましたが、明治以降は、一世一
元としました。中国の「前漢」(B.C202年)の、第七代皇帝【武帝】(BC.140
年頃)の時代に生まれたものです。日本では、「大化の改新」で【大化】(645
年)の元号が最初です。中国や韓国では既に無くなって、今では日本だけだそうで
す。
☆【明治】~【平成】の出典を調べてみました。
1・【明治】…【聖人南面而聴天下、嚮明而治】…易経
(明治元年.1.1(1868.1.25~1912.7.30)
(読み…聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)
(訳…聖人・この場合は天皇が、北を背に、南面して国民から天下の政治を広く聴け
ば世の中は明るい方向に向かって治まる) ここから【明治】が出典されました。
2・【大正】…【大亨以正天之道也】…易経(読み…大いに亨るに正を以ってす、天の
道なり)[大正元年(1912.7.30~1926.12.25)]
(訳…政を執り行なう人が、民の意見.言葉を喜んで 聞き入れるならば、政は正
しく行なわれる) ここから【大正】が出典されました。
~この文の後に、【八月に至りて凶あり】とあって、これは、時代の先行きに不
安を思わせる、ということで、『春秋公羊伝』を持ちだしている。それには、【君
子は大いに正に居る、宋の禍いは宣公之を為すなり】(宋という国で後継者を決め
る時、宣公という国主が選択を誤ったことを批判した文)とあります。ところが、
この【大正】の両文に「凶」、「禍」の不吉な字があるのに何故使用したか。大正
12年9月1日の『関東大震災』です。旧暦なら8月です。易経は占いの書です。
易経の恐ろしさと素晴らしさ、とでもいうのでしょうか。元号選定にあたった人
は、天意を聞いたことになり、人々に災害のある事を警告する役目を無意識ではあ
ったでしょうが、担ったのではないでしょうか~
3・【昭和】…【百姓昭明、万邦協和】…書経
(読み…百姓昭明にして、万邦を協和す)
(訳…国民の生活を安定させ、世界の国々と仲良く共存する) ここが、【昭和】の出典です。(S元年(1926).12.25~S64年(1989)1.7昭和天皇薨去
4・【平成】…【地平天成】…書経(読み…地平らかに、天成る)
(訳…世界が平和に治まり、天は順調に廻っている)ここから、【平成】が出典されました。平成元年(1989).1.8(平成の元号施行の日)~